麻雀牌のものがたり③桑港花辺牌



  
麻雀牌のものがたり③
米国〔黄金の20年代〕の
豪華絢爛「桑港花辺牌」
          文/名木宏之

 ●「マージャンもよく売れた
 身内の話を持ち出すのは気が引けるのだが、私の母方の祖父母(竹広鶴次郎・マサノ)は20世紀はじめに20年ばかり、米国サンフランシスコ(桑港)で東洋美術商を営んでいた。祖父が写真を勉強するため単身でアメリカに留学し、そのまま居着いて商売を始めたのだ。
 自宅は郊外のパロアルト*という街のスタンフォード大学の近くの大学路にあって、母はそこで生まれた。 
*パロアルト――米国屈指のスタンフォード大学を有し、現在はシリコンバレーの中心地として知られグーグルやフェースブックの拠点がある。

 折から東洋美術の大ブームで、祖父母は商売を相当手広くやっていたようだ。
   そのために白人社会から疎まれるようになり、ちょうど〔黄禍〕がいわれだした頃、日本人排斥の嵐が吹き始める前に店をたたんで日本に帰った。そして持ち帰ったレコードや輸入盤を増やして、東京・神田で日本初のジャズ喫茶『東亜』を開いたり呉服商をやったりした。

 祖父は終戦後まもなくの昭和23年に亡くなったが、祖母は広島でわりと長生きした。家が近かったこともあって、私は子どもの頃から祖母のところへよく遊びに行った。話を聞くのが愉しかったし、何よりワッフルを焼いてくれるのがうれしかったのだ。
 おふくろも当時はまだ珍しかったケーキだのパイだのクッキーだのをつくってくれたが、面白い形のプレートで目の前で焼く祖母のワッフルはまた特別の魅力があった。孫の私に気前よかったせいもあろう。

 駐留軍(当時は進駐軍といった)が近くに来たりすると、街の人が祖母のところに通訳を頼みに来る。ガイジンとペラペラ英語で談笑しているのを見て、バアちゃん何者なんだ !? と、幼心に畏怖を感じたこともある。
 私が大学生になって麻雀を覚えたての頃、祖母はまだ達者で、アメリカ話を聞きたがる私にこんなことも言った。サンフランシスコの店では浮世絵やら仏像、陶磁器やらが「おもしろいように売れた」が、「扇子やマージャンもよく売れたよ」
 彼女の言うマージャンとはもちろん、麻雀牌セットのことだ。

     【写真】20世紀初めのサンフランシスコの東洋美術店(人物は筆者の祖父母と、間にいる幼児が母)。右下隅のショーケースに麻雀牌らしきものが見える。

 ●骨董店の片隅にひっそりとあった
 博物館開館の前年、野口恭一郎(故人・麻雀博物館創設者)は麻雀文化財の蒐集で世界を飛び回っていて、アメリカ西海岸の蒐集旅行では多くの〔掘り出し物〕を手にして帰ってきた。
 その一つがこの「桑港花辺牌」で、彼はよほどこの牌に自信があったらしく、どうだ、と言わんばかりに私と鈴木知志(故人・元麻雀博物館副館長)の前にガバッとこれを広げて見せた。
 なるほど凄い牌である。私も鈴木もしばらく口がきけないほどに驚いた。

 「この牌はね……危うく見逃すところだったんです」
 と、野口は手柄を褒められたい子どものような顔をして言った。聞くとこうだ。
 彼はサンフランシスコのめぼしい骨董店をしらみつぶしに歩き回り、あそこなら(古い麻雀牌が)ありそうだ、という情報をもとに7軒目の店に入った。ところが、店頭に展示されているのは焼き物などの高価な美術骨董品ばかりで、麻雀に関係する物は一切見当たらない。
 店内をひと回りし、ここも駄目だな、と見切りをつけて店を出ようとしてふと玄関口の上の棚を見上げると、んん! 雑多な物が積み上げられた中に埋もれるようにして、彫金の麻雀牌ケースらしき物がひっそりとあるではないか。

 
 急いで降ろしてもらって中身を見る。と、これが驚くほどの〔上物〕だったのだ。野口は口の中が乾くほどの興奮を覚えたが、店主にそれを悟られないよう、胸の鼓動を抑えるのに苦労したという。

 店にしてみれば、麻雀ブームだったのははるか昔の話、古い麻雀牌に興味をもつ者など少なく、どんなに美しい出来の牌であろうと雑器の類いでしかない。高くも安くもない適当な値段を言って、いかにも早く持って行ってくれと言わんばかりの対応に終始した。
 こういった風景は、じつは麻雀博物館が誕生するまではよく見られたものだった。今はそうはいかない。世界各地の骨董店やオークションで、古い麻雀具は格段に高くなってきているのだ。蒐集する側はやりにくくなったにしても、麻雀牌が文化財として正当な評価を得られるようになったということで、反面喜ばしいことでもある。雑に扱われて散逸したり破損したりしなくなっただけでもいい。

 ……私は野口のサンフランシスコ土産話を聞きながら、祖母の昔の言葉を何十年ぶりに思い出し、もしかしてこの牌、祖父母が扱った物ではなかったかと、別の空想にとらわれていたのだった。

 ●アメリカ麻雀史が違うのか
 ところがまあ、これは私の勝手な空想でしかないわけで、この牌と祖父母を結びつけるのはむずかしいということが調べてすぐにわかった。わずかに時期がずれているようなのだ。
 祖父母がサンフランシスコから日本に引き揚げてきたのは、明治45(1912)年生まれの母が満7歳の時で、尋常小学校の新学期の編入に間に合ったというから、1919年の6月(誕生月)より後で20年4月より前である。

 当時、日米間は船便しかなく、母の記憶によれば、日本に近づくと「ニッポンだ!」という叫び声が聞こえ、水平線の先にまっ白い富士山が浮かぶように見えてきたという。冬季の何月かに横浜に着いたということだ。

 J・P・バブコック(前出)が中国からイニシアル入りの麻雀牌の欧米輸出を始めたのは1919年だったが、本格的な販売普及は20年に入ってからだった。それからすると、祖母の言葉は合わない。ちょっと早すぎるような気がする。

 「マージャンも〔よく〕売れた」
 と、彼女は50年近く前、確かに私にそう言った。これは絶対に間違いない。私はそのころ覚えたてで麻雀漬けの日々を送っていた。「バアちゃんがアメリカで麻雀牌を売った」というのは、大変インパクトのある話だったのだ。

 祖父母の帰国時期を最も遅く想定しても、1920年2月にはサンフランシスコを出航していなければならない勘定だが、麻雀史ではその時にはまだそれほどブームにはなっていなかった。祖母の店で麻雀牌がよく売れるようにはなっていなかったはずなのだ。
 これはどういうことなのか!?  祖母がありもしない話を私に言ったか。アメリカ麻雀史がずれているのか。

 祖母はそれから2年後に亡くなった。もっと詳しく聞いておけばよかったと、今更ながら悔やむ。母は広島に存命しているが、遐齢にして耳が遠い。アメリカでのことを今更聞いても私が得心するような話には至るまい。

 この疑問を検証するなら、アメリカで麻雀が流行する前から在米中国人の間ではさかんに麻雀が行われていて、彼ら相手に麻雀牌が売れたと考えるのが普通だろう。

 だがそれも、祖母の言葉を思い出すと違うのだ。祖父母の店には東洋人の客はこなかったと言っていた。こなかったというより、祖父母のほうで敬遠していたというのが正確だろう。いやな話だが、祖母はこういう言い方をしていたのだ。 「日本人や中国人が出入りする店には、アメリカ人は入らなかったからね」

 
 ならば答えは一つしかない。アメリカで麻雀は西海岸でまず流行して、全米に広まった。 
   国際都市のサンフランシスコでは、麻雀史にあるより前からアメリカ人の間で麻雀が行われていたのではなかったか。バブコックはそういった〔下地〕があるのを知っていたからこそ、麻雀牌のアメリカ輸出を思い立ったのではなかったか。

 私は実際に聞いた祖母の言葉のほうを信じるから、当時の当地の資料を丹念に洗うとそういった新事実が出てくるのではないかと思っている。
【上写真】欧米では日本より少し早く1920年代初めに麻雀が大流行した。この写真は「麻雀に興ずる貴婦人たち」としてアメリカの雑誌(1923年)に掲載されたものである

 ●祖母の言葉は正しかった
 ……といったことを、私は8年前に書いて発表した。
 そして、この「桑港花辺牌」が祖父母の店を経由してアメリカ社会に届き、それが日本に戻ってきたという空想物語を頭に浮かべて、胸躍るような気持ちを書いた。

 ところがはたして、その後困った事実が出てきたのである。
 どういう事実か。結論的には祖母の言葉は正しかったし、アメリカ麻雀史も間違っていないということなのだが、私はそれを胸を張って言うことはできない。あっさり白状すれば、私の勘違い・記憶違いだったのだ。胡乱(うろん)にすぎて、ともかく恥ずかしい。

 身内の話を出すとつぎつぎとプライバシーを表に出すことになるけれども、母は100歳を過ぎてなお広島で健在している。しかし、耄碌(もうろく)はした。夢遊の世界と現実との間を行ったり来たりしているようだ。

 
 その母と去年、わりとしっかりしている時に話ができた。で、それとなく訊いてみたら、こういうことなのだ。
 「アメリカからの船が日本に近づいたとき、白い富士山が見えたと言ってたよね。7つの時の記憶がよくはっきりしてるもんだなあ」

 7歳の自分の記憶にははっきりしているものもあり、まったく思い出せないものもあり、あやふやなものだから、母の記憶はどうなのかな、といった疑問は前から持っていた。 *上写真は 当時の日本郵船北米航路の主力船「天洋丸」

 母はアメリカ・パロアルトの友達の名前を何人もはっきり覚えているし、フレズノとかロスガトスとかサクラメントとか、行った所の地名も覚えていて、何度も口にしていた。
「そう真っ白い富士山がね ‥‥でも、わたしが日本に帰ったのは8つの時よ」
「ええっ! 8歳だったの? 数えの8つじゃないよね」
「満、よ。満の8つよ」

 本当に物書きとしてこれでいいのかと猛省せざるを得ないが、間違った情報を何十年も頭の中にインプットしたまま、前の稿を書いて発表してしまったわけである。
 でも、弁解もしよう。身内のことでそれぐらいの記憶違いは誰にもあるのではないか。私は早くに実家を出た。だから、親との話もそんなに丁寧にできてきたわけじゃない。
   私が若いころには年配者は数え年の年齢を口にする人が多く、おそらく母が言った年齢を勝手に自動的に満年齢に換算してしまい、そのままになったということだろう。そうとしか考えられない。
 *母・静江 2018年2月没・享年105

 ●〔黄金の20年代〕に湧くアメリカ
 1年遅く日本に帰ったのなら、これまでの話はまったく問題がなかったことになる。
 アメリカに麻雀が入って流行りだした1920年の翌年まで、祖父母はサンフランシスコで商売をしていたのだ。アメリカ生活の終わりのほうだから、「マージャンがよく売れた」という記憶に間違いのあるはずがない。
 だからといって、私は前の原稿で書いたアメリカ麻雀史の前倒しの推論を引き下ろすつもりもない。アメリカ西海岸の麻雀ブームの火のつき方は、漢字含みの東洋文化でもあることだし、まったく下地なしにあれほどの速さで燃え上がるとは思えないからだ。


 1920年に本格的にアメリカでの麻雀牌販売が始まって、早22~23年には全米で大ブームとなっている。パーティーの二次会といえば決まって麻雀となり、ホテルには専用の麻雀ルームが作られた。バブコック以外にも麻雀牌の製造販売を始める業者が続々と現れ、ニューヨークタイムズ(上写真/1923年2月)には連日でかでかと麻雀牌大売出しの広告が掲載された。
 
 そういったことを知らない麻雀愛好家も多く 「えっ、日本や中国以外でもやってるの!」とことさらに驚いてみせる人もある。
 そういう向きには、日本より欧米のほうが先に麻雀人気が高まり、遊戯文化として尊重されたむねを説明するが、その私も全米中に一気に広まった麻雀伝播のあまりのスピードの速さには、分析が追いつかない。

「アメリカ人は、豪華な物が好きなのよ」
 祖母はそうも言っていた。店で好まれたのは、渋いわびさび趣味の物より一見豪華な物だったという。見栄っ張りだから、付き合うのに骨が折れたとも。日本人事業家が白人社会で伍してやっていくには、郊外に家があって、自家用車を持っているのが最低条件だったと。 これは祖父が言っていた言葉として母から聞いたことである。

 たしかに当時のアメリカは、19世紀後半の〔金ピカ時代(Gilded Age)〕から第一次世界大戦の落ち込みを経て、1920年からの空前の大繁栄期〔黄金の20年代(Golden 20's)〕を迎えたころだった。

 この「桑港花辺牌」は、その祖母の言葉をそのまま表わした、まさに黄金の20年代にぴったりの豪華きわまりない牌である。
 こういった装飾花辺牌(牌に草木や花の縁取り文様を彫り込んだもの)は、かつて欧米の富裕層や外交官、貿易商らがよく土産物や進物用に特別注文してつくらせたというが、それにしても、ただこれで麻雀ゲームを楽しむだけなのに、ここまで豪奢に気張らなくても、と思うし、その心意気がまたうれしくもある。この牌を見るだけで、当時のアメリカ人気質が分かったような気がするではないか。

 そうしてこの極め付きの豪華麻雀牌が、祖父母の店を経由してアメリカに入っていたとしたら……ああ、それを思うだけで心が躍る。その可能性は以前に書いたときよりもずっとずっと高くなったと思うのだ。
 芸術を好み最初期のフォード車に颯爽と乗っている祖父の1世紀も前のアメリカでの写真(下)を見ても、この派手な麻雀牌をアメリカに持ち込んだのはうちのジイさん以外にあり得ないのではないか――私は今そんなふうに思うようになっている。 (文中敬称略/2005年10月の初出稿に加筆)

 【桑港花辺牌】――索子(ソウズ)牌は中国南部にできる縁起のよい仏手柑という柑橘類。筒子(ピンズ)牌には不老長寿の団鶴(舞う鶴)。萬子牌の縁取りには胡蝶を配す。花牌の文言「済公活佛」「八魔闘法」はともに故事に材を得た京劇の題名である。この牌は2005年、ニューヨークのアジア・ソサエティ美術館において、欧米を代表する麻雀牌として貸出し展示された。1920年代初期製/牛骨製・竹背/31.5×22.0×14.0(9.0)

1910年代初め、自家用車=フォード1910年式モデルT-ツーリングに乗る
筆者の祖父(運転席の人物/後部座席の白帽子が祖母)。
背景は1894年、国際博覧会の際に造園されたゴールデンゲート・パークの日本庭園の建物と思われる
 1900年代初め、祖父はフォードの最初期モデルに乗っていた   


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