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名木宏之ブログ③ 身内話のついでに

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  【 私家版 】   身内話のついでに。          文/名木宏之  ●別稿『麻雀牌のものがたり』で母親のことに触れ身内話を持ち出したから、ついでに触れておこう。名木家の後裔のためにも。 【2017.3】       日本初のジャズ喫茶    おふくろ (静江/当年104歳) はここ25年ほど広島・尾道の海のそばで 、高校教師をリタイ アした弟とのんびり暮らしてしている。だからあまりしょっちゅうは会えないのだけれども、この前意識がはっきりしていたときに、私は古い写真を見せながらベッド脇で彼女と昔話をする機会を持った。    おふくろの女学校の時の写真やら、はたちの時の写真やらアメリカ時代の写真やら……写真1枚1枚に驚くほどの記憶が残っていて感心させられたが、ついでにもっと驚くようなことが今になって出てきたのだ。   大正末期にアメリカ帰りの母方の祖父母 (大正9年に帰国) が東京・神田で日本初*のジャズ喫茶『東亜』をやったことは、別稿・ 麻雀牌のものがたり「桑港花辺牌」 で触れた。    *日本のジャズの歴史を書いた古い本(書名を忘れて探せないので確認後明示する)に神田「東亜」が日本最初のジャズ喫茶だということが書いてあり、この店名から『東亜』という音楽出版社が誕生したとも触れられていた。    *明治末生まれの母が「店が忙しくなって女学校を休学して手伝った」と言い、「近くで昭和大通り(現昭和通り)が建設工事中で煩かった」と言っていたから、大正の終わりから昭和初めには『東亜』が流行っていたことがわかる。関東大震災後に建設が始まった昭和通りが完成したのは昭和3年のことだった。    *昭和初期を代表する歌手・ボードビリアンの二村定一のヒット曲『神田小唄』 (昭和4年/作詞時雨音羽 作曲佐々紅華)の一番と三番の歌詞に、こうある。彼は客の一人だったから、『東亜』がベースになっている詩であることは言うまでもない。  1. 肩で風切る学生さんに ジャズが音頭とる神田神田神田  家並み家並みに金文字飾り 本にいわせる神田神田神田……(略)     3.ジャズは流れるレコードはまわる 赤い灯影にゃボタンが光る……(...

名木宏之ブログ② コラム「風媒花」

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  【コラム】   風 媒 花 文/名木宏之 (なぎひろゆき)     ――もくじ(抜粋掲載) ―― 田村正和さん、逝く/拝啓 小池百合子さま/ビートルズ自慢/My Favorite Songs(Karaoke)/縮れっ毛のこと/白物おでん/梅 【名木宏之/プロフィール】 文筆家・出版プロデューサー。1944年広島生まれ。広島大学理学部(数学科)在学中はボート選手として活躍する一方で著作をはじめ、4年時に中退。東京の業界紙記者・コピーライターを経て出版社・日本文芸社に入社し、雑誌編集部のち書籍編集部に勤務。74年に独立して著作するかたわら出版プロデュース、アートディレクションを手掛け、多くの話題書・ベストセラーを生み出すとともに、国内外で新雑誌8誌を世に出した。キャリアを通して複数の筆名を用い本名での活動は少ない。亡妻(1990年没)との間に1男1女 。 本欄メール  shoubunn@gmail.com       田村正和さん、逝く   え っ、と思った。  さっきテレビで俳優の田村正和が亡くなったことを割り込みで報じていて、そのことに驚いたのはもちろんだけど、「享年77」と耳に入ってきたから、あれっと思ったのだ。だめだよ、訃報で年齢を間違えては。  ところが何十分か後にちゃんとニュースで聞いても、やっぱりテレビは77だという。  そうか、間違えていたのは自分のほうだったのか。私は初対面から何十年もずっと彼を同い年だと思いつづけてきたものだから、ちょっと焦った。彼は一つ年上だったのだ。    そのことに気づく機会は何度もあったはずなのに、どうして……。私が7月生まれで彼は8月か9月生まれだったはずから、むしろ自分のほうが目上のように思ってきたのだ。  初めて会ったのは20代後半の若い頃で、昭和48、9年だったと思う。  品川プリンスホテルの喫茶ロビーで、そこを常宿にしていらっしゃった作家の柴田錬三郎さんと訪ねた横尾忠則さん と 私の3人でしゃべっていたところに、あの人(年上だと知ったらこの欄で「彼」と書き流せなくなった)が現れた。そしてぼそりとだけど丁寧に挨拶をし、そのまま同席することになったのだ。 「あのこは?」  しばらくして柴田さんが訊くと、「もうすぐ着くはずです」と田村さんは入...